初めまして。管理人です。
今回は、初記事なので、簡単にプロフィールをまとめさせていただきました。
生誕〜学生時代
私は、昭和の終わり頃、警察官の父と専業主婦の母の次男として誕生しました。
幼少時代は、とにかく自然の中で遊ぶことが好きで、学校以外の時間は、朝から晩まで虫取りをしたり、裏山で冒険をしたり、川に泳ぎに行ったり、といった毎日を送っていました。
また、好奇心旺盛で物怖じしない性格でしたので、大人が理解不能なことをしては、よく怒られていました。笑
小さい頃から、割と何にでも疑問や興味を持つ傾向があったため、様々な知識や経験を積み重ねる度に、疑問が増えていき、
- なぜ学校に毎日のように行かなければならないのか?
- 「悪いこと」とは誰が決めているのか?
- なぜ勉強やスポーツができる方が良いのか?
- 人間とは何者で何のために生まれるのか?
- 自分はなぜここにいるのか?
- 自分は死ぬとどうなるのか?
- 宇宙はどうなっているのか?
- なぜ戦争は無くならないのか?
- なぜアメリカは日本を滅ぼさなかったのか?
- 日本は本当に悪い国なのか?
- なぜお金持ちが凄くて貧乏人はダメなのか?
- テレビに出てくる超お金持ちが小さな国を買ったりしないのか?
- なぜ威張ったり下に酷いことをする人が偉い立場にいるのか?
- なぜ大人になったら嫌な仕事を我慢してやることが当たり前なのか?
などと考えてはいたものの、当時はインターネットもそこまで発展しておらず、周りに詳しい人もいなかったので、こういった素朴な疑問に蓋をして、成績に見合った高校・大学に行き、安定とやり甲斐を求めて父と同じ警察官になることにしました。
警察官拝命〜地域警察官
私の家系は、父だけではなく、母方の祖父も警察官という、いわゆる警察一家(三代目)でした。
警察内部のことについては、家族から聞いていたので、厳しい警察学校生活も難なくクリアし、中規模の警察署に配属されることとなりました。
最初は、「巡査」という最底辺からのスタートです。当時は、若手の巡査には人権などあってないようなものでした。
何を言われても「はい!」しか言ってはいけませんでしたし、タダ働きも当たり前でほぼ休みはなく、先輩達からはすぐに怒られ、特に階級が上の人は物凄く威張っていました。
警察学校を出ると、みんな交番のお巡りさんからのスタートです。
私もこの交番勤務で、泥棒を捕まえたり、暴走族を追いかけたり、牛刀を持った犯人とやり合ったり、喧嘩現場で先輩が拳銃を取られそうになったりとさまざまな経験をさせてもらしました。
当時は物凄くキツかったですが、「仕事はキツイのが当たり前」だと言われていたので、必死で頑張っていたように思います。
公◯警察官になる
お巡りさんを一年ちょっとした頃、偶然がいくつも重なり、「公◯警察官をやってみないか?」との声がかかりました。
当時は刑事警察に憧れていましたし、政治的なことには全く興味がなかったため、断ろうと思ったのですが、亡くなった祖父が公◯警察官をやっていたことを思い出し、祖母に話を聞きに行くことにしました。
祖母は私が公◯に誘われたことを聞くと、「これまで話したことなかったけど・・」と言って、祖父が遺書を書き残して命懸けで【成田闘争】の警備に出動した時の話をしてくれました。
その話を聞き、当時の私は「日本を二度とそんな危険な状態にしてはいけない!」と正義感がメラメラと湧き上がり、公◯警察官になることを決意しました。
公◯になってからは、毎日必死に仕事を覚える毎日でした。そして、ある日自分のための仕事しかしない課長と大喧嘩し、公◯を辞めそうになりましたが、その話が本部にまで届き、「面白い若手がいる」と噂になったらしく、次の異動で大規模警察署に配属されることとなりました。
この大規模警察署では、公◯の鬼と言われていた仕事命の課長と出会い、大きな仕事を任せられ、昇任試験に合格し、その流れで本部への異動が決まりました。
警察本部にて
警察本部では、公◯最深部での勤務を命ぜられました。ここは、やる気のある(出世や手柄を求める)人が集まっており、当時は殺伐とした雰囲気を感じていたように記憶しています。
この時私は、警察官として9年目を迎えており、どのような仕事も根性でクリアしてきていましたので、何事も「頑張りさえすれば何とかなる」と考えていました。
しかし、この時の仕事はそうはいきませんでした。頑張っても頑張っても上手くいかず、
頑張る→進まない→上司・同僚にダメ出しをくらう→もっと頑張る→進まない・・・
という負のループにハマってしまい、起きている時間以外はずっと仕事をし続け、寝ても仕事の夢を見る生活で、半年が過ぎるころには、
- 毎日のように血便血尿が出続ける
- 明日が来るのが怖くて眠れない
- 眠れてもうなされて叫びながら目が醒める
- 起きた瞬間「ずっと夢の中にいたかった」と感じる
- 職場に行こうとすると嘔吐する
という状態になっていました。
今冷静になって考えてみれば、自分の頑張りによって結果をコントロールできるような仕事内容ではありませんでしたし、他のどんな仕事であっても、頑張れば必ず上手くいくとは限りません。
しかし、当時の私は周りの目ばかりを氣にしており、全くそういった冷静な判断ができずに自己否定を繰り返していました。
魂の声
こんな生活を我慢して続けていたところ、ある日の当直勤務中、私は無意識のうちに本部ビルの手すりの上に立ち、飛び降りようとしていました。
あと一歩というところで家族の顔が思い浮かび、正気に戻って執務室で一人グッタリしていたのですが、しばらくすると、頭の中に私のこれまでの思考とは明らかに異質な内容の言葉(魂の声と呼んでいる)が現れ始めました。
- 「私は何のために生まれてきたのだ?」
- 「私は本当は何がしたいのだ?」
- 「いつの間にか手柄や出世争いに没頭していたが、それらを手に入れて私は何がしたいのだ?」
- 「権威や周りからの称賛を手に入れて、私は本当に幸せになれるのか?」
そしてこの日から、私はこれまでしてこなかった、「自分の本音と真剣に向き合う人生」がスタートすることになりました。
- 私は人のために頑張っている!(本当は自分のプライドのため)
- あの目標を達成したい(本当は他人に認められたいだけ)
- あの人を尊敬している(周りに認められているあの人を敬っているだけ)
- この仕事は楽しい(本当は楽しくない)
- あの人に成功してほしい(本当は失敗しろと思っている)
- お金のためにしているのではない(本当はお金のため)
- あれがしたい(本当はしたくない)
などと言った具合に。
そして、自分の小ささや汚さに落ち込みそうになるたびに「物事に良いも悪いもないんだよ」「それが人間なんだよ」ということを思い出し続けました。
すると、いつの間にかどんな自分にもOKを出せるようになってきて、だんだんと今まで考えもしなかったような言葉が湧いて出てくるようになりました。
- プライドのためならこの部分は頑張らなくてよくね?
- 他人に認められるためだけならこの目標はいらん!
- 俺は尊敬できないからこの人にそこまで氣遣わなくていいやw
- これじゃない楽しいこと探さなきゃね!
- あ、この人が成功しようが失敗しようが俺には関係なかったわwってか成功って何だっけ?
- お金のためにして何か悪いかな?てかどうせならやってて楽しいことが良くない?
- したくないことする時間もったいねー!
こんなしょうもない感じですがwこれにより圧倒的に自分の中での選択肢が増え、生きるのがとても楽になっていきました。
そして、以前の私のように自分で自分を痛めつけ、生きること自体に苦痛を感じている人の手助けをしていきたいと思うようにもなっていきました。
人生の転換
こうやって自分と向き合う中で、だんだんと人生の指針というか決意のようなものが浮かび上がってきました。
限られた人生
一秒でも楽しい時間を増やし
一秒でも辛い時間を減らす
そのためには、他人から見てどうこうではなく、本音の自分が、
どう感じるか
どうしたいか
で行動を決定する!
すると、その後すぐ苦しみ続けた仕事から解放され、次の異動では上司・同僚が全て大らかな人間に入れ替わりました。
そして、たくさんの時間を与えられ、釣りという新たな趣味を教わり、謳歌させていただくことで、心身ともにみるみるうちに回復していきました。
この人生の指針が決まってからは、自然と自分がワクワクする選択肢を選び続けることになりました。
もちろん自分だけが楽しいだけではなく、誰かに何かをすることでワクワクするのなら、その選択肢を選ぶ。
ワクワクすることは、頑張る必要がありませんし、ストレスや疲れを感じることもありませんし、何より自分がいつも上機嫌なので、必然的に上手くいくことが多くなります。
そうしているうちに、「ぜひ君にやってほしい仕事がある」と声がかかり、沿岸の警察署へと異動することとなりました。
昔の私でしたら、「なんで俺がそんな田舎に」という場所だったのですが 、自分と向き合うことで考え方も全く変わっていましたし、毎日釣りができる場所でしたので、心から喜んで異動することとなりました。
ちょうどこの頃が、ウイルス騒ぎが始まったばかりの時でした。
退職
沿岸署に行ってからも、最高の上司、同僚たちに囲まれ、たくさんの時間と心の安らぎをいただき、釣りに没頭する傍ら、コロナをはじめ、宇宙・地球・世界・日本など多くのことについて調べることができました。
そうしているうちに、またここでも魂の声が現れ、それまでやったこともなかったSNSや動画作りなどを開始することとなり、自分が学んだことを皆様に発信する活動を始動することとなりました。
そして、最後の警察署でも3年間自分と向き合い続けた末、自分の人生の指針を貫くため、令和5年の3月末、14年間務めた警察を退職しました。
現在
初めて魂の声を聞き、自分の中の指針が定まってからは、驚くほどその指針通りの人生が繰り広げられています。
自分の考え方が変わったというのもありますが、信じられないようなシンクロニシティ(偶然?必然?)が次々と起きて、常に予想以上の楽しい人生が展開されていっています。
長くなってしまいましたので、それらの話はまた今度させていただきますね。
簡単にと言いながら、長くなってしまいましたが、読んでいただいた皆様、ありがとうございました。
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