退職までの流れ(魂の声)

人生
氣付いた人
氣付いた人

 皆様こんにちは。

 今回は、私が警察官を辞めようと考え始めてから実際に辞めるまでの変遷について書いていこうと思います。

予兆

 自己紹介でもお伝えさせていただいた通り、私は警察一家で育ち、実際に私自身も公務員の特権である「安定と世間体」を謳歌していましたので、まさか自分が仕事を辞めることになるなどとは、これっぽっちも考えていませんでした。

 また、若手の頃はガムシャラに仕事をしており、真剣に生きている「つもり」でしたので、周りと同じように、「定年まで警察官でいることが当たり前」という考えに疑いを持ったこともありませんでした。

 ただ、警察は階級社会であり、人間性など関係なく【上司から氣に入られること】【筆記試験の良し悪し】だけで階級(人間の価値)が決まってしまうところだけは、一貫してどうしても納得できずにいました。

 パワーを必死で求め続けた人間だけが偉くなるシステムなので、パワハラ体質が改善される訳がありません。

 公◯警察官になり、大規模警察署での仕事にも慣れ始めた頃、少しづつ自分の時間が生まれてくる中で、突如として幼少の頃抱いていたような素朴な疑問が心の中で浮かび上がり始めました

  • なぜ週5日以上、朝から晩まで拘束されなければいけないのだろうか?
  • この我慢を定年まで続けたら、もう死ぬだけじゃないか?
  • この組織は自分が思っていたほどには正義の味方の集まりではない
  • 強烈な階級主義・責任回避、パワハラ体質など、組織の構造自体を変えることができるのなら、人生を賭けて上り詰めてもいい、しかしノンキャリアではどこまでいってもそれは不可能
  • ならば飯を食う為だけにここに居座り続けるか
  • これで本当に自分の人生と言えるのだろうか?

 このようなことを考え始めてからというもの、経済的・世間体的に安定している警察官でいながらにして、精神的には不安定というチグハグな状況に陥り始めました。

 そして、ちょうどその頃、ノンキャリア警察官のトップまで登り詰めて亡くなった祖父の最後の手記をたまたま目にする機会があり、そこに

「悪い誘惑にも靡かず、警察官として精一杯やってきたが、今となってはこの人生が正しかったのかどうか分からない・・」

と書いてありました。

 これには衝撃を受けました。祖父は地位もあり、皆に慕われていて警察内でも親族内でも尊敬の対象でした。そんな祖父の最後の心情がこの言葉であったのです。

 現代社会における理想像のような人生を送った祖父。それでも最後まで真の幸福には至れず、迷いは消えなかったのだと理解しました。

「自分がなんとなく感じていた通り、このまま警察官としてどのような道を進もうとも、後悔は免れないかもしれない・・」

 そんな考えが頭をよぎりましたが、当時はこれといってやりたい仕事もなく、せっかく手に入れた公務員のイスを捨てるなどという決断などできず、こういった心の声を掻き消す毎日でした。

転機

 転機が訪れたのは、警察官になって9年目、警察本部勤務になってからです。

 この頃は、出世・手柄主義の集団(この時期は私もそうでした)の中で、個人的に持っていた仕事が上手くいかず、周りからダメ出しをくらい続け、最終的には自殺寸前までいくことになりました。

 その後、自分と本気で向き合い始め、人間や人生のことなどを真剣に考えるようになり、この完全なるトップダウンの組織にいる限り、自分の人生をコントロールすることなどできないということを理解し始めていました。そして、どうにかして警察組織から抜け出す方法を探し始めました。

 探すと言っても、貯金の増減や次の仕事の待遇面ばかりを気にしていたため、辞める決断をすることはできませんでしたが、そんな中で【あした死ぬかもよ?】という一冊の本に出会い、せっかくの人生、お金や名誉などではなく本当に自分がしたいことを見つけ、挑戦してみたいと思うようになりました。

 自殺未遂をして、自分が何のために生まれてきたのかと考えた時「限られた人生、楽しい時間を1秒でも増やし、辛い時間を1秒でも減らしたい!そして、同じように望む人の手助けをできる人間になりたい!」という人生のテーマが決まり、その後の選択は全てこのテーマに沿って選ぶことを決断しました。

再確認

 人生のテーマを決めてからというもの、警察官を続けながらにして、新しい自分にとって理想的な生活があれよあれよという間に構築されていきました。

 生活費や世間体を維持しながらも、最高の生活を送らせてもらい、「こんなに幸せな状況なんだから、このまま辞めたい気持ちは治まるだろう・・」と心のどこかで安堵していましたが、時間が経つにつれ、一度灯された炎は勢いを増すばかりで、奇しくもその幸福な時間が「自分を生きたい」という魂の声を再確認する形となりました。

 また、退職への炎が大きくなったのには並行してコロナ騒動があっていたことも大きかったと思います。

 コロナを通して「自分の頭で考える」「自分で生きる力をつける」「選択できる幅を広げていく」ことが非常に重要だと考えるようになり、それらを実現するためには、やはり辞職しかないという気持ちが膨れ上がっていきました。

 この頃に読んでいた本は芸術家、岡本太郎著【自分の中に毒を持て】です。これを読んで、「生きる」の意味が生命活動ではないということに氣付かされました。 

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決断

 実は、私は当初昨年(2022年春)に退職する予定でした。しかし、蓋を開けてみると、なかなか上司に言い出すことができず、結局1年先延ばしすることとなってしまいました。

 生活費や世間体を失うのが怖かったのもありますが、自分の力で生きていく自信がなかったのだと思います。

 不安と恐怖でまた辞めることができなかった絶望感。しかし、今思えばこの時辞めなくて本当に良かったと思います。

 この時、仕事をしながらも、寝るまも惜しんで真実を追求していく中で、「何とかしなくてはいけない!」という氣持ちが爆発し、今までほとんどやったことがなかったツイッターで情報発信を始めました。

 そして、兄に氣付いて欲しくて作った解説資料を元に、世界や日本の裏側を伝えるまとめ動画が完成しました。

 肝心の兄は無関心でしたが、この初めて作った動画がきっかけで多くの方から嬉しい声をいただき、自分個人でも皆様の心を動かす何かを生み出せるという自信がついていきました。

 また、コロナ対策がとても厳しい職場においても、自分の思考と選択を信じ、自分軸を貫くことができたことも大きな自信に繋がりました。

 さらに、時を同じくして地元の自然農を営んでいる農家さんからたまたま自然農を教わる機会を得たことで初めて農業に触れ、「なんとか自分でも作れそうだ」という手応えを掴むことができました。

 これらのこともあり、2022年秋頃、辞職の決断へと至りました。

退職

 頭では辞めるべき理由が分かっていても、14年間必死で続けてきた仕事を辞めるというのは、想像以上の心労がありました。皆温かく送り出してくれましたが、正直名残惜しさと一抹の不安は拭いきれない状態でした。

 しかし、ここに至るまで運命と言うべき流れが続いていたため、これも自分で決めた人生のテーマの進行過程なのだと解釈し、2023年春、退職して新たな人生のスタートとなりました。

 退職後は、それまで以上に怒涛の流れが来たのですが、また長くなってしまうので別の記事で書かせていただきたいと思います。

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